解説
旧中島町を流れる熊木(くまき)川、日用(ひよう)川下流域の低湿地を江戸時代、干拓して新田開発に当たったのが豊田村の孫三です。孫三は代々、当主が襲名する名前で、新田開発がいつ始まったかは定かでありませんが、文化年間(1804~1818年)に本格化しています。安政5(1858)年までの間に、村高(むらだか)が約370石に上がったうち、317石について孫三が単独または共同でかかわったとの記録があります。317石は約21ヘクタールの収量に相当し、孫三の尽力がいかに大きかったかがうかがえます。孫三は新田開発だけでなく、飢饉の際に度々私財をなげうって農村を救っています。記録によると、天保4(1833)年の凶作で、近隣に1600人の飢渇者が出た時、11石の救い米を拠出し、天保8(1837)にも13石を拠出しています。平成3(1991)年、孫三の功績を後世に伝えようと、中島町崎山の国道249号沿いに顕彰碑が建てられています。