解説
能登半島の先端に位置し、日本海側一帯の守護神とされる神社です。高座宮(たかくらのみや)と金分宮(きんぷんのみや)からなり、奥社の山伏山(標高172メートル)山頂に奥宮があります。高座宮は天津日高彦穂瓊瓊杵尊(あまつひだかほこににぎのみこと)と美穂須須美命(みほすずみのみこと)、金分宮は木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祭っています。「三崎権化(ごんげ)」「三崎明神」とも呼ばれる古社で、平安時代の延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載されています。社伝によると、崇神(すじん)天皇の時代に山伏山に創建され、天平勝宝年間(749~756年)に現在地に移ったとされます。文明年間(1469~1487年)以降、戦乱で社堂の多くが消失しましたが、天正14(1586)年に前田利家が訪れた際に祈願所として再興し、慶長19(1614)年には社殿や鳥居、勅使(ちょくし)橋などが修理されました。奉納される木造男神像は国指定重要文化財、文書73通が県指定有形文化財、社叢(しゃそう)は国指定天然記念物となっています。