解説
江戸時代、能登には天領が62カ村ありましたが黒川もその1つでした。その黒川村で応分の司法権・行政権を持つ天領庄屋を代々務めてきたのが中谷家です。天保年間の記録によると黒川村は田畑屋敷139石余、新田36石余を数える農村でしたが、中谷家は山林数百町歩、田畑89石余を持高とする豪農でした。黒川村にはこの庄屋たる中谷家の補佐役として組頭、惣百姓代がいました。
堀と石垣に囲まれ、裏庭を含めると4,000坪余の屋敷で、主な建物は母屋、土蔵、離れ、奉公人部屋、湯殿兼便所、馬屋の6棟です。総輪島塗の土蔵は約200年前に建てられ、土地の人に「からすのとまらない宝蔵がある」となかば伝説的に伝えられてきたものです。扉には家紋、入口の石段に昇り龍と松・竹・梅が配されています。また、内部の天井、床、壁板、階段などほとんどが朱と黒2色の輪島塗りの贅を尽くしたもので、鈍い光沢は、神秘感を与えてくれます。