解説
穴水町明千寺はかつて荒れ地で、農作物の栽培に適さない地域でした。明治時代、この地区を水田にして住民を豊かにしたのが北出丑松です。丑松は明治18(1885)年に旧明千寺村に生まれ、大阪で測量技術を習得しました。明治36(1903)年に明千寺村の米の収穫量を増やそうと開墾作業に着手し、近隣の二子山から水を引くための用水路を建設し、3年後に約4.5ヘクタールの新田開拓に成功しました。この用水路は現在、野中用水と呼ばれています。丑松の功績をたたえ、昭和時代の初めに「頌徳(しょうとく)の碑」が地元で建立されています。