解説
岡部家は武蔵国の武士・岡部六弥太忠澄(ろくやたただすみ)の末裔(まつえい)とされる中世からの郷士(ごうし)で、藩政初期から加賀藩の十村役(とむらやく)を務めた家柄です。茅葺(かやぶ)き入母屋(いりもや)造りの主屋(おもや)は、元文元(1736)年に完成し、上手半分を公用・接客用とし、かつては土間の奥から延びる角屋部分を家人の住まいとしました。嘉永6(1853)年、加賀藩・前田斉泰(なりやす)が能登巡見に訪れた際には、本陣として使われました。庭園は池泉観賞式で、兼六園の造成に参加した庭師「能登の駒造」の作と伝えられています。平成23(2011)年には、斉泰が宿泊した時の図面を基に、藩主の謁見(えっけん)の間を整備し、便所や湯殿を板の間にするなど可能な限り忠実に復元し、約160年前のたたずまいをよみがえらせました。主屋は県有形文化財に指定されています。