解説
東間地区は80人ほどの小さな集落ですが、ここに住む男衆のほとんどが花火師の免許を持つ「花火師の里」です。花火は武器用に製造されていた火薬が、江戸時代中期から娯楽に使用されるようになったものと言われます。かつて能登では各地の祭礼で使用するため、地元の若衆が花火の製造を担っていました。東間では古くから秋祭りに花火が使われ、竹筒からの吹き出し花火などの技術が伝承され、明治時代には男児は13歳になると花火づくりに参加したと言います。その後、地元の手速比咩(てはやひめ)神社の神主が中心となって技術の継承に尽力しました。その技術は、昭和8(1933)年創業の能登煙火株式会社によって現在まで受け継がれています。豪快な打上げ花火を中心に製造し、県内はもちろん関西、中部の花火大会でも打ち上げられています。