解説
時国家の祖先は、平家物語で知られる平時忠の子・時国にさかのぼり、代々、大規模な水田経営を展開し、海運業も手がけました。江戸時代初期、2軒に分かれ、加賀藩領に新しい屋敷を建てたのが時国家で、町野川の下流に位置することから「下時国家」とも呼ばれました。歴代にわたって加賀藩の十村役(とむらやく)や肝煎(きもいり)、山廻役(やままわりやく)、能登外浦一円の塩吟味役を務めました。建物は寛文10(1670)年ごろのものと伝わりますが、明確な年代は定かでありません。木造平屋建ての茅葺(かやぶ)き、入母屋(いりもや)造りで、素朴で古風な美しいたたずまいを見せています。間取りは奥能登農家の大型のもので、土間が主屋の間口の半分近くを占めており、下人を多数使って作業をしていた往事の暮らしぶりがしのべます。住宅が国指定重要文化財のほか、池泉(ちせん)観賞式の書院庭園は国指定名勝となっています