解説
藩政期の初め頃から続く地元八坂神社の夏祭りで、毎年7月第1金曜と土曜に開かれており、名前の通りの荒々しさが特徴です。伝承によると、寛文年間(1661~1673)年、この地域で疫病が広まり、京都の祇園社(ぎおんしゃ)から牛頭天王(ごずてんのう)を迎えて祀ったところ、疫病が収まったと言われています。牛頭天王は荒々しいことを好み、暴れれば暴れるほど喜ぶとされたため、このような暴れ回る祭りになったとされます。祭り初日の夜には、約50人で担ぐ高さ6.5メートルのキリコが町内を巡った後、役場前の海岸広場に約50基が集まります。笛・太鼓・鉦(しょう)の囃子(はやし)の音色に乗せて、高さ8メートルの大松明(たいまつ)の周囲を火の粉を浴びながら乱舞します。2日目の夜は、担ぎ手たちが2基の神輿(みこし)を道路や川、たき火などに投げつけながら八坂神社を目指し、キリコは神輿の前後に付き従います。神社前の広場に着くと、松明に3時間以上も神輿を激しく打ちつけた後、神社に神輿を奉納します。宇出津の氏神は白山神社と酒垂(さかたる)神社で、八坂神社には氏子がいないものの、疫病を鎮めた神として住民からあがめられ、白山、酒垂両社の氏子が一緒になって祭りを行ってきました。