解説
河川が短く平坦地が少ないなど、農業にとって厳しい条件の能登では、それを克服するために先人が築いた用水路を大切に守り継いできました。右門助(よもすけ)用水<七尾市>のように、現在も農業用水として使われるものが少なくありません。中には、「マンポ」と呼ぶ地下水路の造られた用水もあり、深見村マンポ<七尾市>は、その長さが全長約300メートルにも及びます。これらは、江戸時代、能登に高度な土木技術を持った指導者や職人集団がいたことを裏付けるものです。また、水の確保は米の生育に直結するため、隣村同士が衝突する原因にもなり、輪島市の塚田川から取水する春日用水周辺では、水を巡る激しい争いの記録が残っています。一方で、用水の管理を通して、運命共同体とも言える強固なコミュニティーの形成にもつながったと考えられています。