解説
中能登町北部の春木地区には、「三ツ池」と呼ぶ3つのため池「新池」「長谷池」「蛇池」があり、古くから田畑の灌漑用水として利用してきました。しかし、十分な水量がなかなか確保できなかったため、約300年前、肝煎(きもいり)の八郎兵衛がため池の水源である小丸山一帯の水を集める計画を立て、小丸山から山腹に5つの隧道を通しました。これが三ツ池隧道と呼ばれるもので、この水は出口で分水して春木地区の「長池」と末坂地区の「南田池」に貯えられ、新たな灌漑用水として活用されました。安永年間(1772~1780年)には、肝煎三郎右衛門が120石の私財を投じて崩壊した隧道の復旧を試みましたが、完成間近になって崩壊し、以後放置されたままになっていました。昭和25(1950)年、隧道工事が実施され、崩壊を免れた旧隧道の154.5mを活用して翌年、総延長260mの隧道が完成し、今日に至っています。