解説
中山間地に位置する久手川町地区で毎年2月16日早朝、地元住民が当番宿となった民家に集まり、輪島塗の椀に円筒状に盛ったご飯を食べる風習が「もっそう飯」です。もっそうはご飯を盛る円筒状の木枠のことで、ご飯の量は5合(茶碗10杯分)にもなります。もっそう飯は藩政期、年貢の取り立てに苦しんだ農民が隠し田を作り、そこで取れた米を腹いっぱい食べたことが始まりと伝わります。もっそう飯は、会話をせずに黙々と食べるのが昔からの慣わしです。これは食事中に口げんかから仲間割れが起き、藩の重罪である隠し田の秘密が漏れるのを防ぐための知恵と言われます。もっそう飯のおかずとして、大根とニンジンの酢の物、ゴボウのナンバあえ、ワラビのからしあえ、みそ汁がつきます。