解説
能登国鹿島郡にあった荘園で、現在の七尾市中島町の熊木(くまき)川下流域に広がる中島地区のほか、七尾西湾、北湾岸の西岸地区、穴水町南端を含んでいました。鎌倉時代の貞応3(1224)年、公領の熊来院から荘園に改まり熊来荘となりました。成立当時の荘園領主は不明ですが、南北朝時代(1336年~1392年)以降、公家の転法輪三条家(てぼりさんじょうけ)が相伝していたと伝わります。熊来荘は七尾湾と外浦横断道の結節点にあたり、水陸交通の要衝として栄え、領内では稲作のほか製塩、ナマコやモズクなどの海産物が生産されたと記録にあります。「お熊(くま)甲(かぶと)祭(まつり)」で有名な久麻加夫都阿良加志比古(くまかぶとあらかしひこ)神社(中島町宮前)は、熊来荘の惣荘鎮守(そうしょうちんじゅ)として大切にされ、臨済(りんざい)宗の定林寺(じょうりんじ)(中島町中島)は、地頭(じとう)を務めた熊来氏の氏寺として建立され今に伝えられています。