指定状況
国指定記念物「石動山」(1978.10)・県指定有形文化財「伊須流岐比古神社本殿・拝殿棟札」(1967.10)、「旧観坊(1棟)」(1975.1)中能登町指定有形文化財「大宮坊石層塔笠石」(1960.9)、「五智院跡経塚石層塔群」(1968.4)、「行者堂」(1988.5)、「伊須流岐比古神社 絹本著色三千仏図」(1966.9)、「伊須流岐比古神社 紙本著色石動山境内古絵図」(1986.1)、「伊須流岐比古神社 紙本著色寛文石動山境内絵図」(1986.1)、「伊須流岐比古神社 紙本著色元禄石動山山内絵図」(1986.1)、「伊須流岐比古神社 紙本淡彩石動山山内絵図」(1986.1)、「伊須流岐比古神社 絹本著色涅槃図」(1986.3)、「伊須流岐比古神社 蒔絵石動山天平寺縁起箱」(1986.1)、「伊須流岐比古神社 石動山古縁起」(1960.9)、「伊須流岐比古神社 石動山新縁起」(1960.9)、「伊須流岐比古神社文書」(1960.9)、「伊須流岐比古神社本殿・拝殿棟札」(1960.9)・中能登町指定記念物「スイリュウヒバ」(1959.4)
解説
石動山は能登半島の基部にある標高564mの山で、古くは「いするぎさん」「せきどうさん」と呼ばれ、厚い信仰を集めてきました。「石動山新縁起」によると、養老元(717)年、白山を開いた泰澄大師(たいちょうだいし)が続いて石動山に登り、仏神の世界を構築したと説いています。開山祭は、泰澄の命日とされる7月7日、その遺徳をしのんで開く祭りで、御霊(みたま)祭りとも呼ばれています。昔は衆徒(しゅうと)が泰澄大師廟所(びょうしょ)に参集してごまを焚(た)き経を唱え、次いで大宮坊(おおみやぼう)に集まり、最後に宝池院(ほうちいん)で直会(なおらい)が行われました。この祭りは明治時代以後も、宝地院を継いだ宝池家が執り行っていましたが、大正10(1921)年から、開山祭として石動山区長によって伊須流岐比古神社(いするぎひこじんじゃ)で行われるようになりました。祭りに参加する人たちは、開山堂跡近くのイワシガ池で水をくんで祭壇に供え、お祓いを受けてから持ち帰ります。この水は数カ月たっても腐ることがなく、味も変わらないと言われています。石動山は東に富山湾を隔てて立山連峰や日本アルプス、南に白山連峰、西に日本海、北に七尾湾や能登島、能登半島を望むことができます。伊須流岐比古神社や中世には大宮坊を中心に360坊を擁し、一山を天平寺(てんぴょうじ)と総称した頃の院坊の礎石や遺構が点在し、国指定史跡になっています。