解説
七尾湾から羽咋市にかけて邑知潟地溝帯(ちこうたい)と呼ぶ帯状の低地が延び、平行する石動山(せきどうさん)断層と眉丈山(びじょうざん)断層によって落ち込んだ凹(ぼこ)地帯の西端にあるのが邑知潟です。神代(かみよ)の時代、羽咋市の気多大社(けたたいしゃ)の祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)が退治したオロチが住んでいたとの伝説があり、このオロチがなまって名前がついたと言われています。広さが約1.1平方kmあり、金丸川、長曾(ながそ)川、飯山川、吉崎川が流入し、下流の羽咋川を経て日本海に注いでいます。加賀藩がこの地を治めた万治年間(1668~1661)から何度も耕作地化が行われ、戦後の昭和23(1948)年から同43(1968)年の国営干拓事業で、湖面の大半が農地に変わりました。冬季はガン、カモ類など湿地性渡り鳥の中継、越冬地となり、ハクチョウが多数飛来することで全国的に有名です。