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名称
平時忠及び其の一族の墳(タイラノトキタダオヨビソノイチゾクノフン)
所在地
珠洲市大谷町
カテゴリ
歴史・史跡
分類
指定状況
県指定記念物史跡(1939.3)
解説
平時忠は平家全盛期を支えた一人で、姉時子が平清盛の妻、妹滋子が後白河天皇に嫁ぎ、自身も大納言に昇進しました。「平家にあらずんば人にあらず」の言葉を残した人としても有名で、栄華を誇りましたが、源平合戦の壇ノ浦の戦いに敗れた後、能登に流罪となり、文治5(1189)年、現在の珠洲市大谷町で一生を終えました。珠洲市の内浦と外浦を結ぶ大谷峠の谷間に、時忠とその一族とされる8基の五輪塔が建っています。そのうち6基がほぼ原形を残し、大きさは72~98センチ。残り2基は五輪塔の火輪や水輪が積み重ねられています。墳のある地は、時忠が金色に輝く八咫烏(やたがらす)に導かれて住まいを構えた地と伝えられ、時忠の末裔(まつえい)とされる則貞家(のりさだけ)が墓所を守っています。近くには、一族の行く末を思い時忠が歌った「白波の 打ち驚かす 岩の上に 寝らえて松の 幾世経ぬらん」の碑が残っています。ちなみに、歌碑の書は昭和36(1961)年に珠洲市を訪れた俳人・山口誓子(せいし)が揮毫(きごう)したもので、曽祖父の実家が珠洲市若山町にある誓子も時忠の子孫と言われています。
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