解説
珠洲焼は、平安時代半ばから室町時代にかけて現在の珠洲市から内浦町(現能登町)にかけて生産されました。約30基の古窯が確認され、これらの跡から5世紀に陶工が伝えた須恵器(すえき)の系統を受け継いでいることが分かります。珠洲焼は中世日本海文化を代表する焼き物の一つで、海運により日本海沿岸の東北、北陸の各地や遠く北海道まで運ばれていました。しかし、16世紀後半以降、ぷっつりと姿を消しました。その理由としては生産・流通の後ろ盾とされる地元の若山荘の荘園領主の勢力の衰退や、他産地の生産性向上などが指摘されていますが、はっきりとしたことは分かっていません。珠洲焼の特色は、粘土紐(ねんどひも)を巻き上げ、叩きしめて成形し、「還元焔燻(かんげんえんく)べ焼き」で焼き上げる点です。無釉高温のため、灰が自然釉の役割を果たし、灰黒色の落ち着いた美しさを醸し出します。甕(かめ)や壺、摺鉢(すりばち)などの日用品が多く焼かれましたが、中には花入れなどの装飾品も残っています。長年、「幻の古陶」として生産が途絶えていた珠洲焼は、昭和51(1976)年、珠洲市や商工会議所の努力で再興。同54(1979)年には珠洲市陶芸実習センターを開設し、後継者の育成に取り組んでいます。また、平成元(1989)年には研究拠点として珠洲市蛸島町に珠洲焼資料館が完成し、その歴史や名品の数々を紹介しています。